井 伊 美 術 館
当館は日本唯一の甲冑武具・史料考証専門の美術館です。
平成29年度大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」の主人公直虎とされた人物、徳川四天王の筆頭井伊直政の直系後裔が運営しています。歴史と武具の本格派が集う美術館です。
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『野田浩子著 井伊家:彦根藩(家からみる江戸大名)』贈本をうけて
井伊達夫
〈2〉
『公用方秘録』というのは一口にいえば幕末の大老井伊直弼の政務要録である。直弼の懐刀として、その側近にあって有能ぶりを発揮した公用人宇津木六之丞(景福)が、直弼と幕閣その他大名諸士たちとの幕末紛騒の政治情勢を細やかに記した秘事録である。従来彦根井伊家に伝存した公用方秘録(写本含めて数種あり)が正規のものとされていたが、私の発見した『公用方秘録』(昭和50年、影写本として200部限定発刊)の出現によって、前者彦根井伊家本が大きく改竄されたものであり、私蔵のものが正本を写した清書本、つまり唯一正確な『公用方秘録』であることが調査の結果公表された(但し私には以前から本書の性質や価値が判明していたが当時の諸事情[主に直弼に係る信仰的讃仰]により暫く真実公表を避けていた。
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「秘録」中唯一の原初の歴史を伝えるもの。
(清書本の写本——井伊蔵)
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上記の複製本(250部限定——解説及び発行 井伊)
その真実のところは既に公表されているが、ここでは煩雑なので省略する(詳細は HP「公用方秘録(大老直弼の重要政務要録)について」)。また当時京都女子大学助教授で元彦根城博物館学芸員であった母利美和氏は『歴程集—井伊達夫蒐古展覧—(2006年刊 井伊美術館)』に寄稿された内に、私蔵『公用方秘録』の新たに見つかった真実部分を読んだ時の驚きを次のように記している。
以下、聊か長きにわたるが、原文を引載する。
「・・・目の前が真っ白になるほど衝撃的であった。驚きで霞む目を疑い、何度も何度も繰り返し読み直した。よし、よしと、それ以外の部分にも異同はないか頁をめくって見ると、そこかしこに異同が確認された。これは大変なことになると思った。
博物館に取って返し、他の井伊家本とも校合してみると、異同があるのは『彦根藩公用方秘録』だけであったが、井伊家本の中には、墨で抹消されたり、墨や朱筆で加筆されたものが確認され、しかも、例の条約調印の記事の部分は、数頁に渡り、別紙により差し替えられていることが確認できたのである。
これは改竄だ。従来、井伊家では「公用方秘録」の草稿原本と考えられてきたものが、 また吉田常吉氏も、名著『井伊直弼』の中で図版に採用して紹介された「公用方秘録」は、この墨で抹消されたり、墨や朱筆で加筆されたこの史料であった。もしかして、明治十八年(一八八五)に井伊家から明治政府に提出する際に、加除改竄されたものではないかとの予感が頭の中を巡った。
「公用方秘録」と称される史料は、井伊家の公用人自筆本以外に、東京大学史料編纂所の所蔵分の写本だけでも五本が確認される。
このほか、管見の限りでは、彦根藩井伊家文書に二本、宇津木三右衛門家文書に一本、木俣清左衛門家文書に一本(井伊達夫氏所蔵の『彦根藩公用方秘録』)、宇和島伊達家文書に一本、京都大学文学部に三本、お茶の水図書館の成簀堂文庫に一本、福井県立図書館の越前松平家文庫に一本、佐倉藩堀田家文書に一本が伝存している(毛利家文書にも一本あるが未見)。しかし、問題は井伊家の公用人の自筆本は、安政五年四月から同年九月五日までの部分 (東大所蔵写本では前二冊の部分)を欠いていることである。それ以降は、宇津木ら公用人自筆の原本が「彦根藩井伊家文書」の中に確認された。
そのため、諸写本の調査をおこなったところ、『彦根藩公用方秘録』以外はすべて、東大史料編纂所の写本と同じ系統であり、従来井伊家で「公用方秘録」の草稿原本と考えられてきたもの、つまり明治時代の加除改竄のための稿本と同じであることが判明した。
すなわち、安政五年四月から同年九月五日までの部分については、唯一彦根藩公用方秘録』だけが、今や失われた原本の記事を伝えていることが判明したのである。ただし、『彦根藩公用方秘録』は原本の抄録と考えられ、その事実は、「井伊達夫」氏が「公用方秘録解説」の中で、「本書と井伊家蔵の公用方秘録(の既に版になった部分)とを比較してみると、詳しい部分もあれば省略されている箇所もある。だが重要な記述は微細に記されており、省略されている点は肝要の部分でないので史料的に不足にはなっていない。」と、述べておられるところからも、氏自身は気付いておられた。ただ、氏は傍線部にあるように「詳しい部分もあれば」と指摘し、二箇所を例示されたが、敢えてそれ以上踏み込んで、他に詳しい部分が存在する理由には触れておられない。
しかし、それには当時、次のような経緯があったという。当時の彦根では、戦後、昭和二十三年頃から井伊家史料が研究者に公開されはじめ、彦根の郷土史研究者の間では、「大老史実研究会」が発足するなど、直弼の復権のための活動が活発となっており、彦根の人々にとって井伊直弼は「神」のような存在となっていた。昭和四十年代でもその状況は変わらず、 氏が新たに入手された『彦根藩公用方秘録』を、その活動の中心人物の一人であった末松修氏に見せると、「今これが公けになると大変なことになるな、直弼さんが直弼さんでなくなってしまう」と、暗に今は公表の時期でないことをほのめかしたという。当時、これが改竄なのか、あるいはたんに異なる記載のある写本なのか、 末松氏がどう判断されたのかは不明であるが、直弼復権の活動には不都合だと考えたのであろう・・・」(歴程集から母利氏の言)
この際における母利氏の驚きと危惧は適中していたのである。そこから拙蔵の『公用方秘録』の本格的調査が行われることになった。——〈引用文中、私の旧姓は現姓に改めた〉
幕末史と井伊直弼研究に必読の重要資料である「公用方秘録」の調査の成果は2007年に『史料公用方秘録(彦根城歴史博物館叢書⑦(B5版上製385頁)』として一本にまとめられた。これが現在に至る迄『公用方秘録』の研究書として最も大部かつ完成されたものである。この本に係る出版元の内容説明は次の如くにある。
(彦根城博物館叢書第七巻——同書発行2007年)
——大老井伊直弼の側役兼公用人宇津木六之丞が中心となって編纂した、直弼の大老政治の記録。幕末維新の第一級資料を、公用人たちの自筆原本と維新政府へ提出された写本とを比較校訂し、全文を翻刻。
上記の説明はやや不十分で正確さを欠いているが、本稿では「幕末維新の第一級史料」というところが認識されればよい。
当時本書編集刊行に関わった人々は下記の通りである。
佐々木克(京都大学名誉教授)研究班長・編集代表
班員
青山忠正(佛教大学教授)落合弘樹(中央大学助教授)
岸本覚(鳥取大学助教授)羽賀祥二(名古屋大学教授)
校訂 鈴木栄樹(京都薬科大学助教授) 母利美和(京都女子大学助教授)
ゲスト研究員
佐藤隆一 青山学院高等学校教諭
事務局
渡辺恒一 彦根城博物館
上記『公用方秘録』における井伊直弼による条約調印前後の事情について、彼女は同書の中で以下のように批判し断じている。
『・・・・・・「公用方秘録」の述べるところは直弼没後に編纂された後世の記録であり、この状況(書中における幕末諸事件と直弼及び周囲の人々の係り具合といっているのだろう——井伊註)の信憑性について検討が必要であろう・・・』
といい、そして却って福井藩の中根雪江の著になる『昨夢紀事』の方を宛もより信じられるが如く記している。しかし『公用方秘録』は宇津木六之丞が直接大老の時の状況のいちいちをリアルタイムに記したもので、そこに対する編集上の差し引きはあったとしてもそれは読むものに対する理解に寄せた配慮であって、『公用方秘録』そのものは決して「後世の記録」などではない。
それは前述『史料公用方秘録(彦根城歴史博物館叢書⑦(B5版上製385頁)』を少し気を入れて読めば一読了解されるべきものである。それを彼女が、「検討を要する後世の書き物」などと簡単に評していることは、浅薄極まる独断であってまさに同書の価値を貶める、認識不足の偏向的批判である。
むしろ『昨夢紀事』の方がその名の「昨夢」と示す通り、実正は回顧録であり一種の昔語りである。これこそまさに「後世の記録」である。念のためいうが、これは福井藩重臣としての中根氏の仕事を貶しているのではない。歴史記録としての真実の「ことがら」の発生とそれを「記録」するという着手行為実行との間の時間差をのべ、『公用方秘録』に対する誤った評価を作ろうとする論者の故意的な判断と作為を批判したまでである。何とも甚だしい本末転倒である。
おそらく野田氏は『公用方秘録』のさまざまを、本腰入れて読んだことはないとしか考えられない。井伊家幕末史を語る上で、絶対閑却できないこの『公用方秘録』をそのようにしか価値判断、評価できないのはつまり該書を読みこなしていない——ということである。でなければ、故意の貶言と言わざるを得ない。『公用方秘録』の刊行に当って調査、研究に当った専門家、関係者諸氏は野田氏の断定論によるとまるで貴重な時間を無駄に費やしたかの如くである。この人達は研究に値する史料を正当に研究し、刊行したのである。これを「検討を要する」などと上からの目線で、斬捨て同然の一言で安易に批判することは「寔に無礼」であると云っていい。検討は上記「公用方秘録」を調査した人々によって存分に尽くされている筈だからだ。
世の中何事においても「識者は欺かれない」。だが幕末史に係る知識が、彼女の著すレベルのガイド書の範囲を出ないことしか知らない一般の人々は、その語るところを読んで、やはり事実と思ってしまうだろう。欺かれるというと聞こえは悪いが、つまりそのようなことである。何らかの故意や既成概念をもった他者によって、錯誤を受けるということはわかりやすくいえば欺かれてしまうということであろう。私はそういう点を危惧する。