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「なんばん」

このコーナは、戦国武将の装いに華やかな色彩を加えた「南蛮」ゆかりの品々を紹介します。異国の品を自由自在に己の戎装へ

とりいれた、かれらの創意工夫をお楽しみ下さい。

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伝・織田信長

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漆絵南蛮人図煙硝入

南蛮人煙硝入れ

火薬入れに日欧従来の南蛮人を意匠にとり入れた図柄は珍しい。莨は何処の産地のものであったのだろう。いかにも旨そうである。

馬鋏

上級武士の乗用馬に用いられた馬鋏(ばさみ-馬の鋏)。これでたてがみや尻尾の毛を切り揃えた。

​現存遺物はほとんどない。

馬鋏

家紋を図案化した豪華なもので、上杉景勝所用。梨地み竹に雀を高蒔絵する。同家の定紋である。

切り柄(試し斬り柄)

刀の試し斬りの時に使われた、特別な柄。

本時代物は経眼本品のみである。

切り柄(試し斬り柄)

切り柄(試し斬り柄)

『首斬り浅右衛門刀剣押形下巻』より、斬り柄の資料 (福永酔剣編著,雄山閣,昭和45年12月25日)

試し斬り柄

石棒

五穀豊穣、子孫繁栄の為の祭祀用石棒。縄文時代

石棒

石棒

石棒
柳生宗矩の歌

柳生宗矩のうた

天下著名の柳生流兵法家宗矩のうた。

​大津の名所走り井で一服したときの珍しい自筆詠唱。但馬守宗矩はいかなる用事で逢坂に至ったのか。天下の大目付の秘用が窺いたいものである。

その他日本最古のかつおぶし、戦陣携行の漢方薬などなど順次公開予定です。

(​以上、井伊達夫採集史料写真)

柳生宗矩自筆短冊

柳生宗矩自筆短冊

日本最古のかつおぶし
日本最古の鰹節

桃山から江戸前期にかけて活躍した大名、小出吉親が戦陣に携行したと伝えられる鰹節。

我が国現存最古のかつおぶしで、大名なればこそのぜいたくな食料品である。

小出 吉親(こいで よしちか):但馬国出石藩3代藩主、のち丹波国園部藩初代藩主。吉親系小出氏初代。

戦陣携行の漢方薬

戦陣携行の漢方薬

小出吉親が戦陣に携行した漢方薬類。鹿の角や、乾燥させた薬草類など。

​薬に素人の我々にはわからない、妙薬のかたまり。

足利尊氏感状

足利尊氏感状

尊氏が戦功をあげた八木秋田衆中に宛てて渡した感状。観応二年といえば観応の擾乱にあたる。本紙の他に写しが存在し、その写しのほうが蟲損甚だしいのも、紙質をうかがわせて面白い。

武田信玄感状
武田信玄感状古写真

武田信玄感状古写真

武田信玄感状(佐藤将監宛)

感状は大将が戦場の時々において手柄をあげた武士に与えた戦功証明書のようなもの。信玄から感状を獲得したほどの士は、何処へでも士官ができるので、授与された士は肌身離さず身につけていた。年紀が入っていないが、このようなものも存在する。珍しいものである。

馬甲面(伝・豊臣秀吉所用)

伝豊臣秀吉所用・天正十六年井伊直政拝領と伝える。

煉革製の、本歌の馬の面鎧である。

​現存最古と推定される貴重資料、馬鎧も附属する。

馬甲面

馬甲面

馬甲面

​戦国の古軍配

この軍配はまことに珍品である。

加賀と越前の国境近く、能美郡白峯の奥牛首川のほとりで発見された。往時の警察への届出によると、明治三十五年六月五日のことである。

この地は、地理状況によって古くから争乱の最終結巻地となっておあり、戦い敗れ追い詰められた敗者はここでヨロイやカブトはもちろん荷物になるものは何もかも捨離して国外逃亡を企てた。この軍配もおそらく一方の対象の持ち物であったにちがいない。それにしてもこれを拾得した向原六松なる人の届書は簡潔明朗、かつ達筆である。おそらくこの軍配は金銅の燦然と光り輝く、見事なものであったにちがいない。

 川底の無数の石くれに、引懸って上向下向、また浮いて右往左往のまた再び川底の彷徨。そんな歳月の何百年を閲して、いまの姿になり果てた。

​こうして見てくると、物品の長い歳月も、人生に似て、単なる鉱物の加工品とは思えなくなってくる。姿は無惨ながら、こいつはあきらかに生き残って勝者の姿を今に誇っているがどうだろう。また再び水に沈むことがあるのか?!行くものはかくの如し・・・。

戦場の古軍配
秀頼の落書き

秀頼のらくがき

秀頼が徒然に筆を走らせたいわゆる「らくがき」である。紙の裏表に書かれてあり、一つは「文二人、腰越、ひこのかみ、ひゃうごのつきしま」

もう片面には「恐々謹言 卯月六日 秀頼​」とある。年次は不明ながら同日付の、秀頼が家康へ出した手紙が現存する。おそらく同時期のものではないだろうか。秀頼自筆正真のらくがき。

秀頼文書落書き

秀頼文書落書き

秀頼1

秀頼1

秀頼2

秀頼2

秀頼の落書き
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