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第一章 稚きころ
​—六—

 田舎での小学校時代の生活は、回顧すれば私の自己発見——能力開発の第一期であったといえる。彦根のマチの生活、トヨサトというイナカ暮らしへのシフトダウンは望まらざるものであったが、当時は何でも親のいいなりであって、転校は小学三年生の頃であったが、この豊郷小学校時代の苦難忍耐の日々がなかったら私の現在はなかったと言っていいほど、自己鍛錬と忍耐に満ちた日々であった。

 

 ここで人間の肉体斗争の基本である相撲や一寸した格闘を覚えた。チャンバラは勿論である。私は小学初年の彦根時代は大体がボォーッとした性格で、体格は学年一、二位なのに運動をしてもその大きな身体を利することを知らなかったから、いつも鈍くさい少年だった。ところが、イナカへ来て森や竹林の中を走り抜けたり木に登ったりするようになってから自分が結構イケてる人間であることを悟りはじめた。チャンバラなど、少々の怪我は平気だし強かった。小学校の校庭での相撲も強いことがわかったし、「肉団」という体当たりの突出しゲームも学年有数の強者であることを自認してから、これはやれるな——という自覚が湧いてきた。オモチャの刀もいろいろ拵えて、周囲の仲間にやった。得意だった。

 

 

思えば私の小学生イナカ暮らしは、自分の生物としての序列、この世界全体の地位を覚知する絶好の場であった。もはや古臭い表現であるが、アイデンティティを確立したといえば大袈裟であろうか。彦根—豊郷—大阪と隔地転住し、そのたびに様々な苦労を味わったが、人生に対する一種の耐性というか免疫力がついたように思う。彦根という、こじんまりした町なかでそのまま成人したら、やんちゃは佐和山のチャンバラが精一杯だったはずである。その意味でも、イナカぐらしは私に人間の本来的な野性のたのしさを教えてくれたし、大阪はここには書き切れなかったが都会の大人の憂愁の世界を一寸垣間見させてくれた。

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昭和六十年代後半、久しぶりに訪れた豊郷小学校にて。

​少年たちが勝手に寄ってきた。

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