私は彦根生まれの彦根育ち、今は京洛の住人だが今も100%の彦根人を以て任じている。もの心ついた頃から彦根井伊氏の甲冑武具や文書類に興味をもち、中学生の頃市内松原にあった井伊直愛氏邸(いわゆるお浜御殿——千松館)を訪れて、蔵の中の井伊直弼の甲冑を見せてもらったことがある。やんちゃ坊主丸出しの小僧の心を解してくださったのが、当時市長だった当主の直愛氏に代わって、邸を守っておられた奥様の文子氏である。
文子氏はいかにも気さくに蔵の中を案内して、飾り置かれた直弼の朱甲をみせて下さった。八十を超えた現在まで経眼してきた甲冑類は優に万の数を超えるが、あの時の直弼の赤鎧以上の感激を味わったことはない。その頃中学の図書館で中村不能斎が採集した古文書紹介本「井伊直政/直孝」を眺めて、その史的内容——直政・直孝の活動に感動した。その時私は己が脳裏に眼前を馬蹄の音高く砂塵を巻き上げて疾駆する朱甲の一団を視た。その最前を疾っていたのは、直政か直孝か!?これもまた忘れられない感激である。
爾来七十年。私は朝暮を朱甲類に囲まれて送っている。あの古文書類も大半が手元にある。不思議の縁である。私の脳裡にはいつも武装した直政・直孝の後姿がある。私はこの二人の後姿をどこまでも追いかける。夢の毎日である。
令和七年二月八日

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