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★4月11日報道記事について思うこと

4月11日報道記事について思うこと

登場しなかった井伊主水佑

 今回井伊直虎名記載に係る新史料『河手家系譜』発見について、報道各紙の記事を読ませてもらった。「記者」として素人の感想になるかも知れないが、各紙ともに、「直虎」以外もうひとつ大事なところが載せられていなかった。

 河手家の直虎時代の当主である河手主水景隆が、「ある時期井伊氏を称していた」という一事である。

主水景隆は今川氏より井伊谷の目付として派遣されていた新野左馬助の招きにより井伊谷へ来、直政の姉を庇護し、次郎法師尼(たびたび記しているが、これは女性城主直虎とされている人物だが、それは史的考証なき思いつきにすぎない近年の創作である)を後見し、若武者井伊直虎を、軍将として補佐した。今川氏真が井伊谷の武将として最も信頼をおいた人物である(永禄11年9月今川氏真安堵状)「河手主水=井伊主水」のことに筆を及ぼすと、本来の報道の核である「井伊直虎=井伊次郎(新野左馬助の甥)=次郎法師とは別人=男」の主題がぼやけ輪郭が曖昧になってしまうから、全紙この点が省略されてしまったのではないかと思われる。私としてはちゃんと話しておいたつもりだが。要点のみ記さなければならないスペースの限られた枠の中で、主題をしっかりつかまえ、まとめる必要があるからこれはやむないことであろう。しかし、この井伊主水佑の「正体」発見は戦国末井伊谷の歴史を知る上で、もうひとつのかなり重要な発見であることには違いないのである。

(29.4.12 井伊)

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