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明智光秀

井伊美術館特選ギャラリー​

紅糸縅本小札二枚胴具足(明智光秀所用)

紅糸縅本小札二枚胴具足(明智光秀所用)

黒漆塗に鮮やかな紅糸が映える一品。古来より明智光秀所用の伝があり、その旨の明確な古記録も存在する。桔梗紋の入った具足櫃(ただし具足より後代の作)が付属する。兜は筋を細かく立てた六十二間筋兜で前立に三鈷剣が付く。胴と草摺を本小札毛引威とし、他は切付小札を用いる。 徳川家康の家臣で一時明智光秀にも仕えた木俣守勝が、家康から帰参を命じられ光秀のもとを去る際、光秀より贈られた品の一つ。守勝は本能寺の変では家康の伊賀越えを警護。後に近江彦根(佐和山)藩家老となり井伊直政・直勝を補佐した。 (寄託調査品)

紅糸縅本小札二枚胴具足

紅糸縅本小札二枚胴具足

紅糸縅本小札二枚胴具足

紅糸縅本小札二枚胴具足

伝・明智光秀所賜

伝・明智光秀所賜

約半世紀ぶりに再発見された精緻華麗な具足の胴。形式的には金本小札腰紫胴裾紅糸縅二枚胴と称する。(両乳鐶後補)

国語碑銘誌(木俣守長 筆)

国語碑銘誌(木俣守長 筆)

明智光秀より拝領の品々を記した部分

明智三尊仏

明智三尊仏

光秀護持と伝える三尊仏で、厨子はその家臣であった光秀の縁族三宅藤兵衛家に於て製作されたもの。

明智光秀書状

明智光秀書状

のちに井伊家の重臣となる木俣清三郎守勝はもとは徳川家康の直臣であった。彼は一時光秀の幕下にあり、片岡城や神吉の城攻め等で数々の殊光を樹てた。木俣は天正九年、家康のもとへ帰参したが、本品はその直後の光秀の手紙である。文中高天神落城のことや家康を呼び捨てにしている等、当時の状況や光秀の威勢が手に取るようにわかる重要な資料である。

明智秋広脇差

明智秋広脇差

家康の旧臣木俣清三郎守勝は明智光秀に仕えていた。そして再び家康のもとに帰ると決まった時、光秀が餞別として佩用していた秋広の脇差を与えたが、これが本刀である。同時に緋威の甲冑(同掲)や当時世間では殆どみることができなかった黄金を二枚、鞍置の馬などを贈った。 この脇差の光秀以前の所有者は丹波八上城主波多野秀治であった。

明智秋広脇差

明智秋広脇差

明智秋広脇差

明智秋広脇差

織田信長裁判(許)状の写

織田信長裁判(許)状の写

明智光秀、木下秀吉連署 (近江長浜・誓願寺文書の内)

桔梗紋居(すえ)青貝微塵鞍

桔梗紋居(すえ)青貝微塵鞍

明智光秀下賜品

明智鞍正面

明智鞍正面

明智鞍後部

明智鞍後部

20190806_読売新聞_近景

20190806_読売新聞_近景

備前近景_サシウラ全体

備前近景_サシウラ全体

備前近景_ハキオモテ全体

備前近景_ハキオモテ全体

近景鋒

近景鋒

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