井 伊 美 術 館
当館は日本唯一の甲冑武具・史料考証専門の美術館です。
平成29年度大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」の主人公直虎とされた人物、徳川四天王の筆頭井伊直政の直系後裔が運営しています。歴史と武具の本格派が集う美術館です。
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新史料「守安公書記」
『守安公書記』の表紙全容 12冊
(井伊家筆頭老職木俣清左衛門守安原書)
本書は館長発見命名による『木俣記録』(全二十数冊他)と同筆者木俣守貞の筆になる浄書原本。これらの記録は藩政期外部秘の記録であり、藩典、判例として重要な役目を果たした。尚「木俣記録」に関しては新修彦根市史編纂時、重要史料の故をもって特別に撮影を許可し、現在その影本は使用時の許認を条件として彦根城博物館に寄託保存されている。
(↓江戸期の古付箋に注目)
『守安公書記』各冊の表題
このたび発見した『守安公書記』は全部で十二冊ある。
縦28cm 横21cm楮紙袋綴じで、丁数はその小なるもの36丁(宝四)、大なるもの137丁(宝壹)で、表題は以下のようになっている。
『大坂関ヶ原丹後伊賀留写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 壹』
『雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 二』
『雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 三』
『雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 四』
『丹後御陣留写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 五』
『軍要用雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 六』
『軍要用雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 七』
『軍要用雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 八』
『大坂御陣御用留写記 寳 享保二十年乙卯十壹月吉日 九』
『古御用留写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 十』
『雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 十一』
『雑秘説写記 寳 享保二十年乙卯十一月吉日 十二』
表題下の「宝」という区分けは、さまざまな記録を混えてはいるがその中でも彦根藩中の古記録としては「宝書」というべきものである、というような意味をあらわしているのであろう。
本冊子中における井伊次郎(直虎)及び周辺事情に関る記録はいずれも『雑秘説写記二、三、四』中に記されてあり、中でも重要部分は、記者会見時に発表し、既述した通りである。その他にも同様記述を繰り返している部冊、また補強的な情報をのべている箇所があり叙述は散在的ではあるが、後代に真実を伝えたいという欲求と義務感が、表現は意識的な飾り気のない抑制されたものであるだけにむしろ強く感じられる。
本書のもとの筆者木俣清左衛門尉守安の履歴その他については別に詳記するが、本書表題における「雑」の字の裏にある意味について寸言しておきたい。『井伊家伝記』の内容や著述された目途については既に書いた通りであるので、ここではふれない。要は「伝記」はそのまま伝説と読み直してよろしいものと考えている。
一方、本書の頭記に「雑」字がそえられているのはなぜか。それは「いい加減な内容だから、雑記でよろしかろう」という気持で守安が誌したのでは決してない。なぜなら、その内容に、江戸の儒教的精神や教え、つまり五倫五常に反することが多々載せられてあるからである。譜代筆頭の名門井伊家の先祖や一族にはあってはならぬことが書かれてある。この記録の談話者は、幼い直政を命がけで庇護した新野左馬助親矩の娘たち(姉妹7人、殆どが井伊家重臣の妻となり長生した。えいこう〔栄光―新野娘、守安実母〕しょうはん〔昌繁―三浦元貞妻〕、浄土寺守源など)や、せいほう〔清芳―奥山因幡守親朝娘〕、直政の祖母そうてい〔奥山因幡守親朝娘〕が中心となっている。
これは大変たしかな記録(老女たちゆえ、記憶ちがいがないとは断言できぬが、井伊次郎のことは一種の執念のあるが如く何ヶ所にも登場する。これも実存の滅失をおそれたためと考えられる)であるゆえ、万一露顕したらことは重大である。万々一のその時のための弁護、防衛策として「雑」の字を冠したのである。いずれの冊末にも他見堅く無用の断り書があるのは、筆頭家老であり彦根城代でもあった木俣の当主しか実見してはならぬという意味の極め書きである。『井伊家伝記』がその書名に主家名を冠しているので初学の人には「正史」のごとくにみえ、一方木俣守安の筆記には「雑」字が頭書されているので、「いいかげんなことの書集め」のように思われる可能性がある。事実は全く逆で極めて信憑性の高い上質な史料であることは、多少心得のある人にはすぐに確信できるものである。
『守安公書記――雑秘説写記』
「雑」の示す意味について
木俣守安自筆覚書
『守安公書記』中の記録(右)
岡本半介宣就筆
『大坂夏の陣戦況報告書』と原本史料(下)
落城寸前の決戦に井伊勢は再び真田信繁隊と戦った。
相関図
※「井伊次郎直虎・次郎法師(直虎とされている)新野左馬助親矩・関口相関図」は井伊美術館の調査作成です。
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関口・新野兄弟姉妹は順不同
ぞうひせつしゃき
『雑秘説写記』:抜粋
※井伊直虎新発見史料について関係記録の公表及び既定された史実の問題点についてこれから検討して行きます。
(井伊美術館調査作成)