井 伊 美 術 館
当館は日本唯一の甲冑武具・史料考証専門の美術館です。
平成29年度大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」の主人公直虎とされた人物、徳川四天王の筆頭井伊直政の直系後裔が運営しています。歴史と武具の本格派が集う美術館です。
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母利美和氏監修になる
『図説 日本の城と城下町⑦彦根城(創元社)』ガイドブック中の
出典不記載及び歴史事実の誤認その他について
〈8〉
目次
(一)典拠史料所蔵者不記載の件 —序にかえて—
(二)「所蔵者不記載」発見とその顛末
(三)『歴程集』中における母利氏評
(四)母利氏の「二代井伊直継」恣意的省略
(五)『新修彦根市史』による「直継二代藩主の認証」
(六)述べて作る行為
(七)ガイド書中の掲載系図の誤りについて—懐しき井伊直虎物語
(八)書中の附録関係図書紹介項「彦根城と城下町を舞台とした関連作品紹介」における『獅子の系譜』の誕生の真実
(九)後書きにかえて
(八)同書中の関係図書紹介項「彦根城と城下町を舞台とした関連作品紹介」における『獅子の系譜』誕生の真実
最後に、同書には彦根に関連する書籍のひとつとして津本陽氏の『獅子の系譜』が紹介されている。この書について一言触れておきたい。

『獅子の系譜』文春文庫版表紙
この表紙の甲冑は実存する直政若き日の着用具足(筆者蔵)を基に比較的忠実に描かれている。
津本陽氏の『獅子の系譜』は、ハードカバー本(文藝春秋・平成十九年刊)と文庫本(文藝春秋・平成二十二年六月刊)の二種が刊行されている。そのいずれにも津本陽氏による「前書き」と私への謝辞が載せられてある。長きに過ぎるので引用は避けるが、どちらも私の『井伊軍志』の傑作なることと、私への謝辞が述べられてある。剰さえ私を「古武士の風格あるさわやかな物腰の人物」と称賛している。有難いことであって、このような他者による、私への讃辞を筆にのぼせることは避けるべきだからこれ以上詳かにはしない。
津本氏は『獅子の系譜』を書くに当って、その多くの部分を拙著『井伊軍志』から採用した。早くいってしまえば「いただき」のようなものである。この類いの最も性質の悪いものを「盗作」と称するが、津本氏ははじめに「獅子の系譜」を『オール讀物(文芸春秋社刊)』に連載し、前記の如く単行本になってから出版社の方と一緒に私方を訪ねて来て事の次第を申告された。どうもすみません——という次第だ。もはや遅かりし由良之助——である。何ともはや!である。
自分で言うのも憚られるが『井伊軍志』は現在のところ『井伊直政伝』としては最も大部で、それなりに完成されたものだと自負している。過去においてはT.Sという時代物作家にも盗作された。これは私が『湖国と文化』と言う滋賀県の文化誌に連載中に盗用されたから困った。連載中に盗作して先に単行本にしているから時代が過ぎると下手すれば私の方が盗作したようなことにもなりかねない(この作家のものは出版停止し、絶版とさせた)。
結論からいえば私は津本氏を赦した。「直木賞作家」も人間である。年寄れば作品の発想も想像力も衰え、竟には枯渇する。
気の毒だが津本さんにはその衰残の姿が窺われた。兼ねてから氏には私流にいえば氏独自の「純粋作品」が少ない——という評判があったやに記憶している。真偽は知らないけれど、その時の津本さんをみれば、そして作品『獅子の系譜』をみれば強(あなが)ち風評も否定はできないのかな、と思った。
『獅子の系譜』はつまりそんな作品なのである。書中、至る所に『井伊軍志』からの引用と著者である私の名前が出てくる。まさに諄々として出てくる。
氏のこの本には「井伊達夫作井伊軍志」書中で述べる歴史事実・及びエピソードが全体の八割くらいを占めて登場する。『井伊軍志』によると・・・。以下『井伊軍志』より、——といった具合で誠に頻々長々たる有様である。はっきり言って『獅子の系譜』は『井伊軍志』のダイジェスト版である。私の作品はそれだけ「名作」なのだ——とお芽出た気味の私はそう思う事で津本氏を赦し、そしてそのことに決着をつけたのである。
氏が世を去ってからもう大分になる。いわば”怪しからんお方”で作家としてはちょっと如何なものかと考えられるが、やはり憎めなかった。あの時の出版社招待による中華料理店での津本さんの低頭ぶりと健啖の姿が今は懐かしい。
話の序でだがそういえば津本氏は真剣で巻藁を斬るのを好んだが、江戸以前、本格派の剣客は巻ワラなど斬らなかったこと共も教示してあげた。いくらワラ斬りの達者になっても、人を斬る上に参考にならない。
剣は時代が変わってもその用途の本義から外れては意味がないのである。どこやらで「古流」と称して跳んだり、はねたりの剣技をみたことがある。あれは現代の風儀におもねった曲芸剣術で、昔の人は「兎兵法」といった。「兎兵法畳水練」は実地に役に立たぬ見せ物剣法で、あれはサーカスに類する。しかし「現代」はそういう「剣の本義」から外れたものも受け入れていかなければならないのかもしれない。とくに発信の場がメディアである場合、視聴率は無視できないのであろう。
こういう現状を武蔵がみたら、柳生宗矩がみたらどういったろうか。二人とも映画上は知らず実地では跳んだりはねたりはしなかったやに記憶する。その筈であろう。両足は盤石の如く地についていなければならない。「剣の道」を現代化したスポーツの一つと考えるなら別である。
以上余分の叙述が入ったが、津本陽氏『獅子の系譜』誕生のホントの本当である。ちなみに斯様な縁から氏との対談集『史眼』が生まれた。お互い言いたい放題の会談集(A5判 並製 214頁-カラー8頁・残部有)で、一寸他に例をみないが、武具や武道のはなしはホンモノである。興味ある方にお勧めしたい。
以上の様な訳合いが『獅子の系譜』誕生の裏にはあったのだが、監修者の母利氏の目はそこまで及ばなかったらしい。郷土に係る史書は在彦根時代から多少著述し出版して来ているのだが、母利氏は拙著のいかなるものも紹介していない。それはそれで結構であるが、母利氏自身からこれまで交流の機を設けて度重なる心遣いを示すのはなぜだろう。不思議不可解である。
『井伊軍志』表紙